頑張って提言

那須に住む元広告クリエイターが世の中に対してホンネを語る

「平和憲法とトランプ大統領」  日本国憲法の話3の2

 ダボス会議に突然出席した大統領は、相変わらず言いたい放題言うと、6時間ほどの滞在でさっと帰国してしまった。そこでの注目された演説もいつもの「アメリカンファースト」が基調だった。その「アメリカンファースト」、実は日本国憲法とは真っ向から対立する。

 日本国憲法の前文には「われわれは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはいけない。政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則にしたがうことは他の国々と対等の立場であり、それを維持することは、世界の国々の責任である」と明記されている。トランプ大統領は、「自国のことのみ専念する」とか、「対等の立場には立たない」とか、平和で公正な恒久平和を念願する国連憲章にも抵触している。

 その大統領の言動にはっきりと「受け入れられない」と表明しているのがドイツのメルケル首相だ。彼女は、ダボス会議でも、大統領の演説に懸念を表明した。

 一方、日本の安倍首相はどうであろうか。彼のアメリカに対する外交の基本方針は、トランプにすり寄り、彼といかに親密かをアピールする一点である。いうまでもなく日本国の総理大臣は、日本国憲法を順守する大切な役割がある。その憲法は、アメリカンファーストを受け入れないと明記されているだけではなく、「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力を挙げてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う」とある。

 日本国民の代表である安倍首相、一言でもいい「日本国憲法、ひいては、国民はあなたの基本的政治思想を受け入れません」と言ってくれませんか。全力をあげて!

「平和憲法悲し」 日本国憲法の話3の1

 日本憲法は、前文で、再び戦争の惨禍のないようににすると決意し、さらに九条に、武力を放棄することを明記した、世界に類を見ない「平和憲法」である。

 その恒久平和を達成するための方策も実に博愛に満ちている。すなわち、前文にて、「恒久の平和を念願している日本国民は、本来人間同士がお互いを尊んでいるという崇高な関係を自覚していてる。それゆえ、全世界の人々が公正であることと、約束を守ると信頼しすることにより、他国からも信頼されることにより、平和を維持しようと決心した。」と述べている。

 端的に言うと、「お互い信頼し合っていれば,争いなど起こらないので、武力など持たなくとも平和は維持できる」と決意表明している。

 本当だろうか?中国、や韓国、ロシアなどの国々を信頼し、もし、自衛隊が存在しなかったとして、日本と中国、韓国、ロシアの関係は、現状と変わりないだろうか。又、日本と米国との関係を考えた時、100%米国の武力に頼った時、全土が沖縄化の憂き目にあっていないだろうか。

 竹島は、韓国に実効支配されている。中国は東シナ海に着々と、武力を背景に支配力を強めている。ロシアはクリミヤ半島を武力で自国領とし、北方領土も返還する気は毛頭ない。それでも、日本近海で彼らの進出を抑止しているのは、米国の軍事力を背景にしているとしても、自衛隊の抑止力によるものであろう。

 悲しいかな、九条が形骸化し、理想を求めた「平和憲法」が意味を失った今、我々は新しい「日本国平和憲法」についた考えなけれなならない時が来たのではないだろうか。

西野亮廣に啓発された。

 小生の息子が尊敬する、西野亮廣の著書「革命のファンファァーレ」を息子から貰って読んだ。「現代の若者」の、あの「芸人」が何を言うのだろうかとの興味からだ。読み始めて5~30ページで、「こいつ、俺と同じように本音で生きていやがる」と思うと同時に「いけね!俺、デス、マスでブログを書いている、と気が付いた。そこで、直近の小生のブログ「隣国の睦、と怨」ではデス、マスを止めた。何しろブログのタイトルが「本音で語る」なのだから、デス、マスは似合わない。約半世紀も後から生まれた若い奴に啓発されるとは思ってもいなかったが、早速文章の書き方を変えたのは、その本の「はじめに」の初めに、「だから僕は、【最近の若い者はという言葉】に反発し、年下を肯定することから始める」に賛同したからだ。

 お金とはの項の、お金の定義「お金とは、信用を数値化したものだ」の考えやその理由付けも説得力があり、息子が心酔しているのも納得がいった。その「信用」についても、「嘘をつかないことだ」と、テレビバラエティ番組の食レポで、旨くなくと「美味い」と言わなければならない芸人たちは「信用がな得られなく」「俺は、そんな番組には出ない」「だから、俺には信用があり、クラウドファンデイングで1億円も集めたんだ」と胸を張っている。???。「嘘をつかなければ」信用が得られるのではなく、「嘘をつかないのは」信用の大前提であり、「芸人」の信用は芸そのものの質によると思う。

 言わせてもらえば、「お前さんが、芥川賞作家でなければ、1億円は集まらなかったよ!それは、芥川賞の信用のたまものだよ!」と。

 さらに読み進んで、「芸人を再定義する」で、おっとっと、と躓いた。

 まず、西野君に、芸人を再定義などしてほしくない。「芸人」は、日本特有の文化だ。1500年以前の白拍子の活躍から続くき、特に江戸時代での庶民の育てた「芸人」文化は、世界を見回しても類が少ない。(エンターテナーと芸人は違う)西野君の嫌いな言い方、「今どきの若い者」の君には、再評価は難しいのでは?だから君の定義、「人とは肩書ではなく生き方の名称だ」と訳の分からないことを文章にし、本に記述までしている。そんなに片意地張らなくとも、「芸人」とは芸のすばらしい人間だ!芸人定義のこの項で「ある番組の流れで、肩書での芸人を止めることになり」と述べているが、「芸人」は、自分からなったり,辞めたりするものではなく、世間が付けてくれる肩書だ。もともと、君は芸人じゃないので、辞める必要もなかったのだ。さらに君は、「肩書での「芸人」はやめたが、生き方が「芸人」だから、俺は芸人だと、さらに訳が分からない。

 梅沢富雄という芸人が居る。ご存知彼は大衆演劇のスターで、彼を「芸人」と推す庶民は数百万人いるだろう。その梅沢富雄、いろいろなバラエティー番組に出演し、時には「食レポ」を行い、たぶん、君の言う、「旨くなくとも、旨い」と嘘をついているだろう。しかし彼の「芸」には数百万もの信頼が集まっている。

 ひな壇に並んで、テレビデレクターに媚び、視聴者に媚びを売る「芸人」たちを、西野君は「肩書だけの芸人」一束一絡げだ。その代表格の松本人志には「芸」がある。小生の好きなテレビタレントにして、エッセイスト、時に女優の壇蜜は、自身を「サンシタ芸NO人」と称しているが、どうしてどうして芸達者である。2013年度の日本アカデミー賞では、新人俳優賞を受賞している。彼女は、小生や西野君のように「本音で生きるなどと大声を出さないが、今どきの若い者には珍しく本音で生きていることは、彼女の言動や著書からも知れる。その彼女、芸能界を「正論などほとんど意味を待たない世界で飯を食う」とさらりと言ってのけている。西野亮廣とは大違い。本音で生きると大声をあげ、「芸」を抜きにして「芸人」を語っている君の記述は、「俺は漫才出身だが、芥川賞作家でもあり、【煙突町のブベル】企画者で他のテレビタレントとは一線を画してくれ」と言っているに過ぎない。

 このブログで、西野君の著書「革命のフンファーレ」を取り上げたのは、若者の旗手であり、大きな影響力を持っている彼の記述が、実は玉石混合であるということを、読者に知ってもらいたかったからである。当然「玉」もちりばめられているが、「俺が!俺が!」の石ころが随所にみられる。

 特に、「僕は番組収録中に帰った」と得々と述べているのは、最悪のごろた石だ。彼のやったことは理由は何にしろ社会でのルール違反だ。ルール違反が寛容されれば、彼の言う「お金とは信頼の数値化」も成り立たないしクラウドファンディングも成立しない。「若者の旗手たる君が、ルール違反を煽る立場でいいのかな?」と西野君に言いたい。

 若者よ、世の中にある玉石混合の中から、本当の玉を見分ける力をつけよう。

 

 

 

隣国の「睦」と「怨」

 日本の隣国と言えば、韓国、中国、台湾。

 その内、台湾では28年前赴任し3年間暮らした。赴任先は、日本企業と台湾企業との合弁による広告代理店で、社員数百名程度の創業間もない会社であった。日本人はわずか5名。ほとんどの台湾の社員は20代から30代前半の若い人たちであり、熱気に溢れていた。彼らは、日本人への偏見もなく、ただ、中国語のしゃべれない同僚として、また時には、広告先進の国から来た先輩として、接してくれた。同僚だけでなく、クライアントも、協力会社のスタッフや、マスメディアのスタッフなども日本人としての分け隔てなく接してくれ、非常に心地よく仕事のできた3年間であった。

 仕事での人間関係だけでなく、生活の場においても、日本人と知りながら、ほとんどの台湾の人々は、親しみを込めて接してくれていた。当時の60代以上の台湾の人々の多くは、日本語を話し、日本人と知ると親しげに話しかけてくることが常であった。彼らの世代は、日本の統治下にあり、日本語を学ばせられた世代であったが、その日本の統治行政が良かったのであろうと想像できるし、若い世代は、その親の感情を受け継いでいるものと思っていた。

 ある時、10人ほどのクルーで台南へ撮影に出かけ、10日ほど行動を共にした。そうなれば酒を飲む機会も増え、若い彼らの日本人観を聞くこともできる。そんな会話の中で、「バーディンヨーイーの銅像、この近くですよ!」!と誘っている口調。「なにそれ?」と私。「日本人ですよ!」とそこにいた若者全員。「知らない。どのような字を書くの」と私。台湾では今でも中国本土のような略字を使っていないので、時には意思疎通に筆談が始まる。「八田與一ですよ」。確かに日本人の名前であるが、私の知らない人である。「台湾の中学生の教科書、(認識台湾)に載っているので、台湾人はほとんど知っていますよ」とのこと。 彼らの説明によると、大規模な灌漑設備を完成させ、台湾農業の父と謳われている人物だそうだ。「私たちが、日本人に親しみを覚えるのは、直接接しているあなたのような日本人の影響もありますが、この教科書の記述の影響は大きいと思いますよ」との、そこにいた若者の総意で会った。

 知らなかった不名誉挽回と、後日家族と台南観光を兼ね、「烏山頭ダム」まで足を延ばした。そのダム湖の公園には、八田与一の銅像も据えられ、業績をたたえる大きな碑が建てられていた。その碑文によると、漢字から読み取れりのは、ダム建設や灌漑事業の功績とともに、その人柄が称えられていた。そしてその銅像は「威厳」とは程遠いい姿で座り込み、なにか思索しているように指先で、額をポンポンと叩いていた。人柄なのであろう。台湾の人々が感謝の気持ちをもって設立したそうで、設置から90年近くたつのに、今でもきれいに保存され、時には花が飾られるそうだ。

 もう一つの隣国、国同士の約束を、平気で反故にする韓国に思いを馳せよう。これは日本でも有名な、かの少女像。韓国国内には数多くあり、米国にまで設置されているというが、韓国の人々は、その像を前に、子供たちに何を語るのだろう。それは「怨」の象徴なのであろうか。

 日本と韓国との深い溝はいつ埋まるのだろうかと思うと、暗澹たる気持ちになる。

 

  余談だが、遠いい国「トルコ」の国民は親日家が多い。

 私がオランダで暮らした6年間、毎週のようにトルコ市場に通った。何しろオランダのパンはまずい。(お世話になったオランダの皆さまごめんなさい。でもこれ本当だよね?)そこで、オランダ人の隣人の勧めで、トルコ市場で、トルコのパンを買うことにしたのだ。毎週出かけては、そこでケバブのサンドイッチを朝食として食べていると、店員とも親しくなる。特に日本人と知ってからは、何かと話しかけてくれ、ケバブサンドの横にはピクルスがついてくるようになった。

 そんな彼らから、日本人の誠意は、彼らの「公民」の教科書から学んだ、との話を聞いた。彼らとは、お互いの英語力の限界で深くは話せないが、後日調べてみると1890年の起きた、エルトール号遭難事件のようだ。事件は、和歌山県串本町、樫野埼岩礁に、トルコの軍艦「エルトール号」が座礁し、その生き残りの船員69名を村人たちが手厚く看護し、本土まで無事送り返したエピソードであった。子供の時心を打ったその物語は、トルコの、親日国の礎となっている。

 さて隣国中国の教科書には、今でも、子供たちが反日感情を植え付ける記述が載っているのだろうか?

 

 

 

子犬たちを殺さないで

 五十年も前の話で恐縮ですが、私が初めてロンドンに滞在したのがGreen Park Htelでした。名前の示す通り、グリーンパークに隣接している小さなホテルで、朝の公園での散歩は実に気持ちの良いものでした。ヨーロッパの公園はどこも自然の様を残していますが、特にグリーンパークでの散歩は、森の中。小鳥のさえずりが森にこだまし、リスや野ウサギが目の前を横切ります。中央に位置する池を囲む芝生の広場には、十数匹の犬達が走り回っています。

当時の日本は、庭や玄関先に作った犬小屋に鎖でつないで飼うのが普通で、狆やスッピッツなど特別な犬を、お座敷犬と呼び、資産家が室内で飼うような時代でした。短い鎖につながれた犬たちは、ストレスの塊で、訪れる人に猛烈にほえ、注意を怠ると噛みつく犬も多く、犬たちが、道端で出会うとお互いに興奮し、毛を逆立てて吠え合うのが常でした。

そんな犬達を見慣れている私にとって、その日公園で会ったであろう犬達が、じゃれ合い,追いかっけっこをしている様は、驚嘆と同時に羨ましくも思ってモノでした。

 1998年から6年間、縁あってオランダに滞在した私は、憧れていた犬、ラブラドール「ゼアス」を家族の一員に迎えました。

 オランダでは、犬の飼い始めに、人間と同じように、主治医を決めることが義務付けられています。その主治医の指示で、購入後すぐに、ゼアスを連れて、当時五歳の息子とドッグ訓練講習会に参加しました。講習会は隔月にその地域を巡回しているようで、いつも夕方、1週間開催されます。私どもが参加したのは、アルスメール湖畔のヨットのドッグヤードでした。私たちが到着した時には、すでに20匹ほどの子犬たちが、広いドッグヤード内を駆け回っていて、私たちもすぐに、トレーナーから、犬を放すよう指示されました。「ゼアス」は、初めての体験でもあろうに、すぐにその群れの中に飛び込んで行きました。グレートデンの子犬からチワワの子犬まで、大小さまざまな子犬たちが興奮しじゃれ合います。

既に講習会開催時刻は20分も過ぎていますが、始まる気配もありません。それから10分も過ぎたころ、ようやく子犬たちの興奮も収まり、場内が静かになり始めたころ、トレーナーが何か説明を始めました。しかし当然オランダ語。私には皆目わかりません。その様子を見かねてトレーナーの一人が英語での説明を加えてくれました。

それによると、生後半年までの子犬には、いろいろな子犬と接触させることが非常に大切なことでだそうです。そのことにより、子犬たちは大きい子も小さい子も、どのような種類の子も、遊び相手ではあっても危害を加える相手ではないと、確信を持つのだそうです。オランダでノーリードーで散歩させていて、他の犬と出会ってもちょっとお互いを確認し合うだけですれ違うのも、公園でお互い楽しく遊べるのも、この訓練のおかげだと理解しました。お互いが遊ぶ訓練は、その後一週間続きました。

結局、一週間で「ゼアス」が学んだことは、「マテ」「前を歩くな」「戻ってこい」とその遊びでした。オランダの犬たちはほとんど「お手」「お座り」「ジャンプ」などはしません。なぜなら「ゼアス」が学んだことで、人と生活するのに十分だからです。

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我が家の現在の一員レオとラッキーお手もお座りもしないが、待ては確実

 ヨーロッパでは、犬を連れて交通機関を利用することは、自由ですし無料です。自転車等も電車に乗せるスペースがありますが、プラスの料金が必要なのは、犬は幼児扱い、自転車は荷物扱いなのでしょう。レストランでは概ね、犬同伴では入れませんが、バーはどこも出入り自由です。また、ホテルも犬同伴は、私の知る限り宿泊できます。そうはいっても、そんな習慣になれていない私どもは、初めて「ゼアス」を連れて 」ベルギー旅行をした際、一流ホテルの玄関先で足がすくんだのを覚えています。そのホテルのベットの上には「犬をベットに上げないこと」の注意書きが置いてありました。

 夏休みのキャンプや冬休みのスキーは、オランダの子供たちの、欠かせない行事です。我が家でも毎年、時には息子の友達を誘って出かけました。当然「ゼアス」も一緒です。毎年行きつけのアルプスの麓ラウターブルンネンのキャンプ所は300余りのテントが張られているスイスでも有数のキャンプ地で、ちょっとした街の様相を呈しています。ただし普通の街と違うのは、連れてこられた犬達が自由に歩き回っていることです。到着早々「ゼアス」を放すと、まずはどこかへ出かけます。私どもは、荷解きやテントの設営と忙しくして、彼のケアーはできません。私どもが一息つく頃、変わった様子もなく帰ってきます。彼は、キャンプ中ほとんどが我々の周りにいますが、何かのきっかけでどこかへ出かけ、時には遊び相手をつれてきたりします。

いつも旅行に犬を同伴するわけではありません、その様なとき、日本同様ペットホテルに預けます。ただし、日本と異なり、預かった犬達をゲージに入れることは決しててありません。ペットホテルは、ほとんど街の外にあり、広大なスペースを柵で囲ってあり、犬達のために区切った家が建ってます。

わたしが「ゼアス」を預けたペットホテルは、家から60キロも離れた広大な牧草地の中にあり、周辺に点在する池には白鳥や鴈などが群れ遊び、民家ははるか離れて点在している田舎です。そこでは朝晩、犬の大きさに分け、その牧草地を散歩させてくれます。時には十数匹の犬達を連れて散歩している場に出会います。料金は1泊500円程度で日本の十分の一程度です。ただ、ヨーロッパでは夏休みともなれば2か月近く預けるので、当然ともいえます。「ゼアス」はそのペットホテルが大好きで、そこに近づくと興奮して落ち着きがなくなり、到着して車から降ろすと喜んでホテルに飛び込みます。飼い主としては実に複雑な気持ちです。

犬たちを処分するの?

 ここまで紹介したヨーロッパでの犬たちへの扱いは、愛犬家にとって、「羨ましい」で済む話ですが、これから紹介する、ヨーロッパのシステムは、すぐにでも参考にし取り入れなければ、日本人が小さな命を軽んじる民族かと、ヨーロッパの人々から疑われる事態になるでしょう。

 オランダに住み始めた当時5歳だった息子は、当然、オランダ語も英語も話すことが出来ません。その年初めから、小学校入学の予備クラスに通うことになっていましたが、友達造りが大変だろうと心配でした。そんなことも考え、その年の誕生日、家での遊び相手に子犬をプレゼントしようと提案しました。うれしくてスキップを踏む息子を連れ、近所のペットショップへ赴いたのですが、その店には、小鳥やウサギ、モルモットは居ましたが、子犬も子猫も姿が見えません。

 私どもが最初にオランダに住んだ町は、アムステルダム近郊のアルスメヤーというアルスメール湖畔の小さな町で、町の三分の一が花市場という、田舎町でした。その小さな町のペットショップだから犬も猫も扱っていないのだと早合点し、数日後、アムステルダムまで出かけました。3軒訪ねましたが、どこにも犬の姿がありません。不審に思い、3軒目の店員に「犬や猫扱っていないのですか」と尋ねると、怪訝な顔をして「Handel?,Handeling caer?」「ペットのヘアーカットのこと?」と、犬はペットショップで購入するものと決めつけている私と,ペットショップで犬など売らないという常識の店員で、は話が噛み合いません。ダイレクトに「子犬を購入したい」と伝えますと、それならブリーダーでしょと、この人何を言い出すのかという目で見られる始末です。それでも親切に(オランダにしてはとても親切に)オランダには3軒しかないレトリバーのブリーダーの電話番号を教えてくれました。

 オランダは基本的に売り手市場の国で、一消費者、特に「お客様は神様です」という国から来た私にとっては不便この上もありません。スーパーマーケットが少なく、普段の買い物は街の商店街に行きます。いろいろな店が一か所にほぼ固まっているとはいえ、スーパーの店内で買い物を済ますのとは違い、数百メートルほど移動しての買い物となります。そのうえ、店先に高く積み上げられた野菜や、果物を私が手に取ろうものなら「チェ、チェ」と警告の舌打ちと同時に「私が選びますから」店員の大声がし、周りの買い物客の非難のまなざしが飛んできます。肉にしても魚にしても(魚屋には鱈、ヒラメ、鰊,鮭しかない)ショーケース越しに指さすのが精一杯です。新居の家具をそろえた時も、どの家具店でも、手に入れるまで2か月は待たされることに驚かされました。そんな経験から、ペットショップで子犬を販売しないことや、レトリバーのブリーダーが国内にたった3軒というのも、当時はなるほどと納得しました。

 一番近そうなブリーダーの所に電話すると、二か月前に生まれた子犬たちは、全部予約済で次は8か月後になるという。予約を受け付けるがと言うことでしたが、「子供への誕生日プレゼントにしたい」と伝えると、「ベルギー国境近くのブリーダーの所でもうちと同じ時期に子犬が産まれたはず」と教えてくれました。

それから3か月後、紆余曲折を経て、車で300キロ走り、ドイツまで出かけ、やっとゼアスが我が家の一員となりました。

 日本のように、ペットショップで販売していれば子犬を手に入れるのに、これほどの労をかけずに済むのにと、当初は思っていたものです。しかしその便利さは、とんでもない対価を払って得られるものだということが、帰国して、ペットショップを幾たびか訪れるようになり分かっのです。その代価は、子犬たちの命の代償によるものなのだったのです。

 日本全国にどれほどのペットショップがあるでしょう。そこに5~10匹の子犬たちが展示されていたとして、全国では万を超す数になるのではないでしょうか。その展示期間はたぶんは半年。生後7~8か月の子犬たちは購入希望者が激減するでしょう。

 オランダは、需要に見合った生産を行っていたのです。需要に見合った生産数では、多くのペットショップに供給するだけは足りないのでしょう。いや、それ以前に、家族となる子犬たちを展示し、ストレスに晒すという発想がないのです。

日本では子犬たちが過剰に生産されているのは確かです。そして、店頭に晒された挙句売れ残ったらどうなるのでしょう。

このままでは、どんなに抗弁しても、日本人は命を軽んじる民族だと思われるに違いありません。

 日本にも「動物愛護法」なる法律があり、その前文には「動物の命およびその安全を確保せしめ国民の情緒涵養に寄与することを目的とする」とうたっています。条文だけでは尊い命は救えません。ブリーダーの皆さま、ペット販売に関わっている皆様、動物愛護法を監督する官僚の皆さま、小さな命に向き合っていただけませんか。

 

 ドイツで、生後3か月の「ゼアス」を引き取ってブリーダーを出る時、そこの奥さんがボロボロと涙を流し、我々が見えなくなるまで見送っていた様が、今でも目に焼き付いています。

 

 

 

 

幸せならユニセフニ寄付を

 日本全国の皆さま、新年あけましておめでとうございます。

 今年も日本は平和裏に新年を迎えることができました。戦後70有余年の永きに亘きり平和を謳歌できたことは、現代において稀有なことです。北朝鮮トランプ大統領との対峙は懸念されますが、アフリカ、中近東、ウクライナなどの紛争地域から遠く離れ、難民対策に国論が割れている国々の悩みも、宗教間の争いや、民族間の抗争も、海の向こうの問題。

 極東の島国万歳!

 お多分に漏れず、我が家でも平和な、幸せなお屠蘇を祝うことができました。

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お屠蘇用の酒

 これらは、郷帰りした酒好きの息子夫婦のために、という口実で、少々贅沢にそろえた酒です。

獺祭は蔵全てを大吟醸造りと決め、その姿勢から醸した美味い酒は評判を呼び、一時手に入れることが非常に難しくなり、大変なプレミアム価格がついたものです。幸い昨年半ころから、出荷量が増えたのでしょうか、良い酒をそろえる酒屋で、時にして買うことができるようになりました。ヨーロッパでも評判を呼び、パリジャンに日本酒の旨さを再認識させた功績は大です。それだけに白ワイン、シャブリに匹敵するフレーバーは、「芳醇」そのもので、ワイングラスで楽しんでいます。

亜麻猫は、秋田の蔵元新政酒造作。その蔵元の銘柄の中でも、新しいタイプの酒で「灘の生一本」の対極にあり、芳醇ですっきりしていて、口に含むと優しい気持ちになれるほどです。今回は、中どりが手に入り、旨味を堪能しました。同じ「亜麻猫」でも発泡するタイプがあり、高価なシャンパンよりこちらを愛飲しています。

鳳凰美田は、まだ全国的には知られていない栃木の酒。蔵元の若きオーナーが杜氏を務めている蔵で、積極的に日本酒の可能性を試行錯誤日本酒しているようで、多種のタイプの酒を醸しています。この酒も、フランスのワイナリーから提供を受けたワイン酵母を使って醸すなど、従来の日本酒造りの枠にとらわれていません。 純米吟醸本来の豊潤な香りの中に、熟れた果物の微かな香りと甘みが感じられ、生ハムやカルパッチョを肴に楽しめます。

醸し人九平次は、名古屋から打って出た拘り杜氏の酒。ボトルの説明書きでも、ワイングラスの使用を進めているように、微細発泡のふくよかな香りが楽しめます。那須は、生のワサビが安く手に入り、そんなタイミングでこの酒があるときは、那須牛をローストし、たっぷりのワサビで至福の時を過ごします。

 毎年、そんなこんなの平和ボケ正月ですが、ちょっとした「貧しい子供たちに心を向ける」行事をします。それは「unicef」の募金に応じることです。

 正月には子供達や、甥姪が挨拶にやってきます。その時彼らとの会食中に「unicefへの募金頼むよ」と申し出ますと、ここ数年続けていることなので、募金の趣旨などは説明しなくとも、気持ちよく応じてくれます。私の勝手な思い込みかもしれませんが、私の申し出があると、その場の雰囲気は、一瞬ではありますが、平和ボケから緊張感に代わります。「そんなの、常日頃怠惰な気持ちで生活している後ろめたさの免罪符じゃないか」という声も聞こえますが、私の些細な行為が、150万人も居るといわれる,飢えに苦しんでいる中の、たった一人の一瞬の笑顔につながれば、平気で聞き流せます。

 平和ボケ、お屠蘇ボケの全国の皆さま、「幸せ」を感じたら、一瞬でもよいので、貧しい子供たちに心を向けると、てを挙げてみませんか。